北九州市議会 2020-12-02 12月02日-02号
城野遺跡は弥生時代後期から古墳時代にかけての集落跡で、九州最大規模の方形周溝墓や玉造工房跡が発見されるなど、北九州の歴史を考える上で貴重な遺跡であり、令和2年3月に福岡県に文化財に指定されております。 史跡広場として整備するため、本年7月、県に土地の造成、舗装などに関する許可申請を行い、翌日に許可が下りた後、工事を開始しております。
城野遺跡は弥生時代後期から古墳時代にかけての集落跡で、九州最大規模の方形周溝墓や玉造工房跡が発見されるなど、北九州の歴史を考える上で貴重な遺跡であり、令和2年3月に福岡県に文化財に指定されております。 史跡広場として整備するため、本年7月、県に土地の造成、舗装などに関する許可申請を行い、翌日に許可が下りた後、工事を開始しております。
城野遺跡は、弥生時代後期から古墳時代にかけての集落跡で、九州最大規模の方形周溝墓や玉づくり工房跡が発見されるなど、北九州の歴史を考える上で貴重な遺跡であります。城野遺跡の保存につきましては、当初、文化財保護法の趣旨を踏まえまして、国が重要な遺構を保存するための土地を確保し、市が必要な整備を行うという方針のもとで国との交渉に当たりました。
116: ◯ふるさと文化財課長(石木秀啓) 谷蟹遺跡は、旭ケ丘1丁目、リョーユーパンの裏側の山あたりですが、古墳時代の集落跡、また、須恵器の窯跡などが出ると考えています。以上です。 117: ◯委員(松崎百合子) 旭ケ丘1丁目にマンションができると聞いているのですが、その関係はどうでしょうか。
庄交差点角の発掘調査の成果はの問いに、ガソリンスタンド、レストランの計画に先立ち実施したもので、古代から中世の住居、集落跡と判明。船原古墳関連で馬術場の馬に馬具を装着したDVDを製作してはどうかの問いに、今年度は馬の模型を製作する。当時の馬は体高150センチほどだが、馬術場の馬は180から190センチあり難しいと思われるが検討課題としたい。子ども考古学部の募集定員の問いに、小学生15人。
城野遺跡は、2009年から2010年に発掘調査が行われ、1,800年前の邪馬台国と同時代の集落跡が丸ごと発見された学術上極めて重要な遺跡です。九州最大規模の方形周溝墓、真っ赤な水銀朱が大量に塗られた幼児の石棺2基、南側の石棺の小口石には武器を持った人物を思わせる線形模様が描かれており、節分の起源とされる中国の周礼に記された悪霊を払う役人の方相氏を表現したものではないかと言われています。
まず、重留遺跡につきましては、弥生時代の中期から後期を主体とする集落跡であります。中でも弥生時代の後期の竪穴住居跡から埋納された状態で発見されました広形銅矛は、全国的に見てまれな例であるとして、本年8月17日に国の重要文化財として指定を受けております。 重住遺跡につきましては、弥生時代の中期から古墳時代にかけての集落跡であります。
平成21年度から平成22年度の発掘調査で発見された城野遺跡は、弥生時代後期、邪馬台国と同じ時代の大規模な集落跡が良好な状態で残っており、学術上重要な遺跡であることがわかっています。
国有地の医療刑務所跡地から発見された城野遺跡は、2009年から2010年に実施された調査によって、邪馬台国と同じ弥生時代後期の大規模な集落跡であることがわかりました。貴重な水銀朱を塗った幼児を埋葬した石棺2基が出土した九州最大規模の方形周溝墓と玉づくり工房跡は、九州で2例目という学術的に大変重要なものです。日本考古学協会も専門家の立場から国や県、そして、市に対し現地保存を要望しています。
市は、この遺跡について、弥生時代の大規模な集落跡で、3世紀後半の九州最大規模の方形周溝墓であり、当時貴重であった水銀朱を塗った石棺、まが玉などを製造していた玉作り工房跡などが発見された重要な遺跡であるとの考えを示しました。 市長は、規模と類例に希少価値があり、重要な文化財が発見されたものとの認識を示し、方形周溝墓は九州最大級の規模とされ、絵模様は全国的に同種のものはないとしていました。
この遺跡は弥生時代の大規模な集落跡で、3世紀後半の九州最大規模の方形周溝墓、当時貴重でございました水銀朱を塗った石棺、まが玉などを製造していた玉作り工房跡などが発見された重要な遺跡であると考えております。 市といたしましては、特に重要な方形周溝墓と玉作り工房跡を現地保存しまして、市民に公開するということを決めたところでございます。
2009年から現在まで行われている調査で、弥生時代中期から終末期、約2,200年前から1,800年前にかけて、多くの人々が生活をした集落跡であることがわかっています。
市長も既にご存知だろうと思いますが、これは、弥生時代の集落跡で、広大な敷地に竪穴式の住居などが復元されています。ここでは、子どもたちが遊びながら学ぶことができる、体験型の遺跡公園となっています。そこで火を起こしたり、遺跡発掘調査などを、弥生時代の歴史に触れることができるということになっています。 それで、行橋市も沢山歴史的に古いものがあります。
例えば、小西田地区で発掘された弥生期の集落跡や古墳時代の前半期の臼山古墳、長野城跡などは、学術上も貴重な文化財と思われます。この広域公園の整備計画に際しては、これらの地域特性を生かした方向づけが必要と思われます。 そこで、お尋ねしますが、この公園の整備計画の基本方針及び公園の規模、建設スケジュール、完成時のイメージについて、まずお聞かせください。
発掘調査した結果でございますけども、時代的には弥生時代、2300年前の集落跡を主体とした遺跡が2、奈良時代、約1300年前でございますけども、須恵器窯跡群1、平安時代を中心とした集落が2件、中世、近世を中心とした遺跡が6件でございます。 次に、大野城市の文化財の指定状況でございます。 議員の方からおっしゃいましたとおり、現在18件指定をいたしております。